TOP OIRAN EVENT img01
img02 MAP 花やしき MEDIA 名所
レトロ喫茶 HISTORY 浅草寺 ABOUT US

花屋敷の歴史

浅草公園の「花屋敷」が、珍しい動植物を配した遊楽庭園として
開園したのは、明治18年(1885)3月20日のことです。
花屋敷は、江戸末期の嘉永6年(1853)、当時江戸でその名を知られた
千駄木の植木屋森田六三郎により、四季の花木を配した山水庭園
として開園しました。文化人や芸術家、幕府要人なども訪れる
上流庭園のような趣だったといいます。

明治30年(1897年) その頃の浅草は、活動写真の上映が開始、
浅草水族館が開館、日本初の活動写真館「電気館」が開館など、
徐々に流行の場所になりつつあったと言います。
花屋敷-メリーゴーランド
花屋敷はといえば、四季の草花、盆栽などから動物の飼育をし、 生き人形、西洋あやつり人形、山雀(やまがら)奇芸などの
見世物 をそろえ、ブランコ、すべり台など所々に子供が遊ぶ遊戯機器を設置。 また大阪博覧会などから珍しい動物を次々に
仕入、内容は勿論、動物の飼育技術も発達させ客を引き戻していったそうです。
花屋敷02

そのまま繁栄は、大正になっても続き、新派劇やメリーゴーラウンドなど、花屋敷は流行に応じた新しい呼び物を次々に取り込んで人気を 集めていきました。世界でも珍しい五つ子のトラが誕生などの話題を提供していました。 しかし、大正12年、関東大震災で崩壊。花屋敷自体は少ない被害ですみましたが 、難を逃れた人々の集合場所となり、動物が脱走したら危険と判断され、多くの動物達は薬殺されてしまいました。 昭和5年(1930年)、関東大震災で犠牲になった動物のための「鳥獣供養碑」が建てられ、 今でも花やしきの築山の横にあります。

直後には近代的な遊園地の体裁を整えて 再出発を図りますが、震災後の浅草公園が徐々に衰退していくのと同様に、花屋敷も往時の勢いを失い、昭和10年(1935) に動物たちを仙台市立動物園に売却して閉園しました。 その後、当時の名前を復活させた現在の「浅草花やしき」が再開園を果たすのは、太平洋戦争後の昭和22年(1974)のことです。昭和に入り、また動物の飼育を始め細々と営業を再開しました。 まさに花屋敷が、江戸時代の奥山の見世物全体を再現したと言えるのではないでしょうか。
花やしき04

昭和26年(1951年)、NHKがテレビの実験放送を開始するといち早く、テレビを園内に設置しました。
都内では、野外テレビを置いた場所はまだ数ヶ所にすぎなかったので、花やしき内のテレビは人で溢れていたといいます。 昭和28年(1953年)には国産初の本格ローラーコースターを完成させました。 このころは世相も落ち着いて、浅草はもとの代表的な盛り場のひとつになっていました。 昭和35年(1960年)には高さ50mの人工衛星塔を設置、ローラーコースターも改造が加わりスリルのあるものに変わっていったのです。 娯楽は人々にとって“あるのが当然”というものになり、娯楽がレジャーと呼ばれ、多様化しつつある時代に突入しました。 娯楽産業の過当競争が始まったのです。 花やしき05

■〒111-0032 東京都台東区浅草2-28-1
■電話番号:03-3842-8780
■営業時間:10:00~18:00
(営業時間は季節・天候により異なります)